人間椅子日記まえがき(2000年以前) – イカ天で人間椅子を知った両親の話

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人間椅子のファンであることは何度もこのブログで書いてきた。

イカ天バンドと言われた人間椅子はなぜ再ブレイクしたのか

活動31年目の人間椅子、初の海外進出への道のりとなぜ今海外進出できたのか?

今回は「人間椅子日記」と題して、僕が人間椅子のファンを始めた時期から順に、その時の人間椅子の動向や僕が行ったライブなどについて、思い出すままに書いてみようと思う。

しかし比較的最近であれば、サイトに情報が残っていたりするので、正確な情報と併せてお伝えできるのだが、いかんせん古いものはデータが残っていないものがある。

そのためこの「人間椅子日記」は詳しい情報の記録というよりは、筆者から見えていた人間椅子について書いていこうと思う。

不定期に気の向くままに書いていくので、どうかゆるりとお付き合いいただきたい。

初回は2000年以前、まだ人間椅子について知らない時期のことを「まえがき」として書いた。

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「イカ天」で人間椅子を知った両親

人間椅子が「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演したのが、1989年のこと。

僕はまだ1歳であり、当然知る由もなかったが、両親がそのテレビ出演を見て、すぐさまファンになったとのこと。

当時は”ねずみ男”姿の鈴木氏の見た目のインパクトもあったが、圧倒的な音楽性に感動したそうだ。

しかし田舎だったこともあり、なかなか情報も入ってこなかったらしい。当然テレビで披露された「陰獣」が聴きたかったと思うが、最初に買ったのは『人間失格』だったそうだ。

インディーズ盤(通称”0th”)はずいぶんと後になって中古で購入した。

人間椅子の楽曲は子どもには難解であるために、私には聴かせていなかったようだ。ただわかりやすい曲だけ、と言って「りんごの泪」「賽の河原」辺りは聴かせていたようである。

実際、大人になってから「りんごの泪」を聴いた時に最初に思ったのが、「懐かしい!」ということだった。

アルバム『人間失格』の特典ステッカーがあったが、小さい頃の僕はシールを貼るのが大好きだったため、冷蔵庫にステッカーを貼ってしまった。

はがすこともできず、冷蔵庫の廃棄とともにステッカーも泣く泣く捨てられてしまった。

そこから『桜の森の満開の下』『黄金の夜明け』『羅生門』とアルバムは買い続けていたようである。

ただライブには行っていなかったそうだ。

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90年代後半のこと

そして人間椅子が1995年にインディーズになってから、レコード会社を転々としていた90年代後半は、とにかく情報の手に入りにくい時代だった。

その頃のアルバムで持っていたのは『無限の住人』だけだった。

その頃の我が家ではJ-POPを聴いていることが多かった。やっぱり90年代後半はテレビでヒットチャート番組を見て情報を知るということが中心的だった。

僕もその頃に音楽を少しずつ聴き始めていた。

また当時の僕は「王様」の『深紫伝説』がとてもお気に入りだった。『深紫伝説』はディープパープルの楽曲を日本語直訳で歌ったものだ。

演奏は完璧、歌はヘン、というのが面白くて、毎日のように聴いていたのを思い出す。

僕のハードロック体験の最初は王様なのだった。だからレッドツェッペリンやディープパープルは、どうしても王様の直訳の方がしっくり来てしまう。

少し人間椅子から話がそれたが、そんなハードロックの素養も身につけたところで、2000年になったある頃、両親がCDショップで人間椅子の『怪人二十面相』を発見した。

まだ活動が続いていたことに驚きながら、アルバムの出来の良さに両親は感動していた。

そしてどういう訳か、小学6年生となった僕も人間椅子にすっかりハマっていくのであった。

↓次に続く

【2000年~2001年】人間椅子日記その1(怪人二十面相~見知らぬ世界)

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